ろくばんのにっき

にっき
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じーさん
友人のじーさんが亡くなった。死んだ。逝った。
どの表現も「友人のじーさん」の命が無くなったことを表している。
この事実はもう何ヵ月も前の話であるが、今ふと思い出した。北海道に行ったときに故人に会い話している。じーさんは「家出」をしたわけでも某国に「拉致」されたわけでもないがもうすでにこの世からいなくなっている。今北海道に行っても当然彼に会うことはできない。彼の人生はおわった。こっちの世界での人生は終わってもあっちの世界での人生は続いていると信じている方もいるでしょう。
「この世」って表現ができるってことは「あの世」を認めたことになるが、まだ死んだことないんでわからない。
彼は何年もいきたろう。
正確にはわからないが何十年もいきたろう。
地球の歴史に比べたら一瞬かもしれない。
でも宇宙の歴史から比べたら地球の歴史なんて一瞬なのかも。
でも犬と比べたらそうとう長いはず。水だったら何度蒸発して雨になってを繰り返せるだろうか。
寿命はそれぞれに見合った時をもらってる。と信じたい。蝉が地上に出て一週間で尽きるのも見合った時間であってほしい。
一億以上もの精子がたったひとつの卵子に結び付くのに一億倍以上の倍率。そしてそれは同じ親から同じ人間はできず性別すら違うこともあり、どのコミュニティに属するかでも全く違うつながりを広げ、一億以上もの精子がたったひとつの卵子に結び付いたということだけが共通の人間と友人、知人、恋人、「おう」とだけ呼び合うだけの仲だったり、すれ違うだけの仲だったり、ときにはネットの上でしか連絡を取れない関係の人だったりと出会う。

マツオ今二十歳。友人のじーさんが二十歳のときにはまだ存在してない。親もまだ出会ってないはず。

奇跡の巡り合わせ。一期一会。
マツオがいなくなるまでどのくらいの人と会うことができるか。
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